人は二度死ぬという まず自己の死そしてのち 友人に忘れ去られることの死
それなら永遠に
ぼくには二度めの死はないのだ(彼は死んでもぼくを忘れまい)
そうして
ぼくはずっと生きている
彼の目の上に
- トーマ・ヴェルナー (via トーマの心臓 - 萩尾望都)
ある人の呟きのことを思い返してた。
『亡くなった人のことを想っている、夢の中でいいからその人に会いたい』
泣いたその人を見送ったことがいちばんの心残りなんだそうだ。
続きの呟きには『ごめんなさい』がたくさん並んでた。
喉が痛くなりながら、わたしは『その人』のことがうらやましかった。
済んだことはどうしようもない、けど、忘れずにいてくれて想ってくれるのは嬉しい。
わたしがその人だったら、想ってくれてありがとう、て言う。
わたしは泣かなかった。
涙を出さなくなるだけじゃなくていろいろ麻痺する、機能停止する。
身体は機械的に動かして日常業務を淡々とこなしてたけど、
思考感情は止まってたな、気持ちが鼓動しなくなった。
自分に起きたことなのに他人事みたいに遠い。
泣いたらよかったのかな。
「あ、泣く」と自覚した瞬間にたぶんスイッチが入ったんだと思う、
いろんな機能を停止するためのスイッチ。
だって、わたしが泣くか泣かないかはあの子にとってはどうでもいいことで、
あの子は言いたかったことを言い切りしたかったことを実行しすっきりしたのだから。
わたしが泣かなかったのは、あの子のためじゃない。
自分が壊れないために、止めたのだ。
「起きてしまったことは変えようがない」というのはあの子の弁、
そのとおりだ、これからどうするかを考えて動いていくしかない。
わたしは生きてるし、あの子も生きてる、会おうと思えば会えなくもない。
けれど、もう会うことはない。
あの子がわたしを想うことはない。
たったひとり、いちばん覚えていていてほしい人に、覚えていてもらえない。
その事実がわたしをひんやりと浸食し続けている。
